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国産第一号テレビテレビブームの次の柱を求めて
1959年(昭和34年)、皇太子(今上天皇)御成婚ブームを機に、テレビが大ヒット。当社の事業の柱となりました。その頃、社内の若手技術者の間に「テレビブームの後に会社を支えるものが必要だ」という声が出てきました。具体的なテーマとして挙がったのが、“コンピュータ”“半導体”“マイクロウェーブ”“超音波(医用機器)”の4つのテーマでした。その意見に耳を傾けた経営陣は、1960年(昭和35年)に研究室を設置。ここから、後の当社の事業における主要製品が生まれました。コンピュータからは、電卓、電子手帳やパソコンなど、半導体は、太陽電池やIC、マイクロウェーブからは電子レンジ、医用機器から心電計などです。
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計算機の基礎を大学で学ぶ
1コンピュータの組織に割り当てられたのは5名。しかし、計算機の基礎も分からない状況だったので、当時当社がお世話になっていた大阪大学の尾崎弘教授(当時)のところに勉強に行くことにしました。午前中は大学で理論と回路を学び、午後は会社で復習と実験という期間が約7、8ヶ月続き、その後ようやくコンピュータらしきものの試作に成功しました。 ところで、当時の早川電機は、量産・量販型の会社で、販売も電気店を通じて一般の消費者に売るスタイルでした。しかし、コンピュータは当時大変高価なもので、ユーザーは大企業で量販型の商品とは言えません。そこで、会社の体質にあった商品を開発しようと、方針を転換し、コンピュータの技術を使って量産・量販の当社に合った商品を開発することになりました。その結果、伝票発行機である会計機、キャッシュレジスタ、計算機の3つが具体的な候補となりました。
当時の計算機は、物理的なスイッチをON、OFFさせる機械式で、騒音がひどく計算も遅い。そこで、コンピュータ技術を応用した電子のスイッチの採用で、静かで速く計算できる商品、すなわち電卓(電気式卓上計算機)を開発しようということになったのです。
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CS-10A当社の技術・事業発展の原点
当社が世界で初めてオールトランジスタ電卓を誕生させたのは、1964年(昭和39年)。その後、世界初のIC電卓、世界初のLSI電卓、そして世界初の液晶表示付きCOS化ポケット電卓などの開発を通じ、当社の技術・事業の発展の原点となりました。
世界初のオールトランジスタ電卓<CS-10A>
大きさ(mm):幅420×奥行440×厚さ250
重量:25kg
価格:535,000円
基本部品:トランジスタ(530個)/ダイオード(2300個)50万の壁計算機には、電動計算機という先発商品があり、これが約20kg、値段は50万円程度。電卓も、すくなくともこれと同じ程度の大きさ、価格にまとめる必要がありました。第1号電卓に使われたのは、ゲルマニウムトランジスタ。しかし温度変化に弱く、特性が劣化するという欠点がありました。通信用に品質を安定させたものもありましたが、50万円を超えてしまい使えないと言うことで、開発陣はラジオ用のものを購入し、自らエージングして選別し、品質保証を図りました。
価格設定も問題になりました。当時は、企業が機器類を購入する場合、50万円までは部長の権限で決裁できました。結局、第一号の電卓<CS-10A>は、53万5,000円となりましたが、これは1割くらいの値引きして50万円を切ると言う形で、目標を達成できたのです。
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CS-31A
世界初のIC電卓(バイポーラIC使用)<CS-31A>
大きさ(mm):幅400×奥行480×厚さ220
重量:13kg
価格:350,000円
基本部品:IC(28個)/トランジスタ(553個)/ダイオード(1549個) -
QT-8D更なる小型化、軽量化を目指す
発売後は、静かで演算スピードも速いと好評でした。また、これを契機に新しい販売網、事務機の販売ルートができました。 特に、海外での人気が高く、事務機専門の見本市に参考出品したところ、大変な反響を呼び、「使いたい」「代理店になりたい」との要望が殺到しました。欧州の情報系販売網の基盤はこの時に作られました。
一号機を役員会で披露したところ、経営陣から「やる以上は、八百屋さんが使えるよう、そろばんのかわりになるものを作れ」との指示がありました。一号機の大きさにまとめるのも大変でしたが、その後のトランジスタの技術革新、つまりゲルマニウムからシリコントランジスタ、IC、LSIへとデバイスが進化するにつれ、電卓は急激に小型化していきました。
他社との競合に打ち勝っていくには、明確な差別化特長を持つ商品を作るしかありません。当社は、その鍵となるデバイスを自社生産しようと、1969年(昭和 44年)、米国のノースアメリカンロックウェル社と技術提携し、民生用の製品として初めてより集積率が高いMOS-LSIを使った世界初のLSI電卓<QT-8D>を開発しました。翌年(1970年(昭和45年))には、半導体工場を天理に完成させ、LSIの量産をスタートしました。特長ある製品の開発には、鍵となるデバイスを内製化する、という流れがここから始まったのです。
しかし、他の半導体メーカーも続々と電卓向けにLSIの大量生産を開始し、部品を購入し組み立てれば誰でも電卓が作れるようになりました。メーカーが乱立し、供給過剰、乱売合戦、いわゆる「電卓戦争」の始まりです。毎年、値段が半分になり、一歩間違うと在庫の山になってしまうような厳しい状況でした。 そのうち、カシオ計算機が6桁表示、1万2,800円のミニ電卓を発売、業界に衝撃を与えました。世界初のLSI化電卓(電子ソロバン)<QT-8D>
大きさ(mm):幅135×奥行247×厚さ72
重量:1.4kg
価格:99,800円
基本部品:LSI(4個)/IC(2個) -
EL-805液晶を用いて薄さを追求
LSIだけでは、電卓戦争に勝ち残れないことは明らかでした。電卓は、入力部分である10キー、数値を表示するディスプレイがある以上、小型化には限界があります。そこで小型化から薄型化へ方針を転換しました。 薄くするには、ディスプレイの薄型化、実装の高密度化、電源部の小型化が求められます。それには、より少ない電力で機能させることがポイントになります。そこで、LSIに低電力消費のC-MOSを使い、ディスプレイには液晶を採用することにしたのです。
液晶の存在は、1888年にオーストリアの植物学者ライニツァーによって発見されました。「液晶」とは、固体と液体の中間にある物質の状態(例えば石鹸水など)を指す言葉です。 1963 年RCA社のウィリアムズは、液晶に電気的な刺激を与えると、光の通し方が変わることを発見。5年後(1968年)に同社のハイルマイヤーらのグループが、この性質を応用した表示装置をつくりました。これが液晶ディスプレイ(LCD = Liquid Crystal Display)の始まりです。翌年のテレビ番組で液晶の存在を知った当社の技術者が、表示装置用にできないかと、グループで研究開発を進めていました。それが、電卓戦争を勝ち抜くための切り札として、全社の期待を一身に担うことになったのです。しかし、開発目標は1973年(昭和48年)4月と、あと1 年しか残されていませんでした。
開発チームによる必死の努力の結果、1973年(昭和48年)、液晶の実用化に成功し、何とか目標通り商品を発売できました。1枚のガラス板に、液晶、C -MOS-LSI、配線など計算機の全機能を集約したCOS化ポケット電卓〈EL-805〉です。単3電池一本で、100時間使える画期的なもので、これまた大ヒットしました。 液晶は、この後さらに技術革新を進め、電卓、時計から、AVや情報関連機器はもちろん、あらゆる分野で応用されるキーデバイスへと発展し、当社の新しい経営の柱に育っていったのです。世界初のCOS化ポケット電卓<EL-805>
大きさ(mm):幅78×奥行118×厚さ20
重量:200g
価格:26,800円
基本部品:LSI(1個)/液晶ドライバ(2個) -
EL-8026
世界初の太陽電池付電卓<EL-8026>
大きさ(mm):幅65×奥行109×厚さ9.5
重量:65g
価格:24,800円
基本部品:フィルムキャリア方式LSI(1個) -
EL-8130
世界初のカード・タイプ電卓<EL-8130>
大きさ(mm):幅68×奥行124×厚さ5
重量:65g
価格:8,500円
基本部品:フィルムキャリア方式LSI(1個) -
EL-8140
クレジットカードサイズ電卓<エルシーメイト EL-8140>
大きさ(mm):幅53×奥行85×厚さ3.8
重量:35g -
EL-8152
1.6mmのデザイン電卓<エルシーメイト EL-8152>
大きさ(mm):幅54×奥行96×厚さ1.6
重量:36g
価格:7,900円
基本部品:フィルムキャリア方式LSI(1個) -
EL-900
厚さ0.8mm電卓<エルシーメイト EL-900>
大きさ(mm):幅85.5×奥行54×厚さ0.8
重量:11g
価格:7,800円
基本部品:フィルムキャリア方式LSI(1個) -
IEEE マイルストーン
アイ・トリプル・イーと称されるThe Institute of Electrical and Electronics Engineers,Inc.は、世界最大の電気・電子技術者学会。160ヵ国以上の42万人を超える会員が、電子・電気・通信・電力・航空・バイオなどの分野で先端的な取り組みをしています。その活動の中で、画期的な偉業や製品に与えられるのが1983年制定のマイルストーン(Milestone:道程・道しるべ)の称号。その認定は200件ほどであり、日本ではシャープの電卓が5件目になります。
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重要科学技術史資料
次世代に継承していく上で重要な意義を持つ資料及び国民生活・社会・経済・文化のあり方に顕著な影響を与えた資料として保存されています。
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情報処理技術遺産
研究・教育材料としての活用、遺産保存の推進を目的に、日本の情報処理技術の基盤を形成した貴重な技術史的成果や製品、生活・文化・経済・社会に著しく貢献した情報処理技術やシステムを認定するものです。
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EL-VN82
50周年記念モデル<エルシーメイト EL-VN82>
大きさ(mm):幅109×奥行180×厚さ14
重量:168g
価格:オープン -
EL-VM72
スマートなフラットフェースデザイン。快適で確かなキーレスポンス。<EL-VM72>
大きさ(mm):幅100×奥行155×厚さ19.3
重量:145g
価格:オープン
1960年
コンピュータ、半導体の研究室を設置
1962年
会計機、キャッシュレジスタ、計算機が開発候補に
1964年
世界初のオールトランジスタ・ダイオードによる電子式卓上計算機(電卓)<コンペット CS-10A>発売
1966年
世界初のIC電卓(バイポーラIC使用)<コンペット CS-31A>発売
1969年
米国のノースアメリカンロックウェル社と技術提携し、民生用の製品としてMOS-LSIを世界初採用のLSI電卓<マイクロコンペット QT-8D>発売
1972年
COS化電卓開発プロジェクト(S734)を開始
1973年
COS化した世界初の液晶表示電卓<エルシーメイト EL-805>発売
1976年
TN液晶搭載のフィルムキャリア方式電卓<エルシーメイト EL-8020>発売
世界初の太陽電池付電卓<エルシーメイト EL-8026>発売
1977年
世界初のボタンレスのカード・タイプ電卓<エルシーメイト EL-8130>発売
1978年
厚さ3.8mmのクレジットカードサイズ電卓<エルシーメイト EL-8140>発売
1979年
ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選出された厚さ1.6mmのデザイン電卓<エルシーメイト EL-8152>発売
1985年
厚さ0.8mm電卓<エルシーメイト EL-900>発売
2005年
電子式卓上計算機(電卓)<コンペット CS-10A、CS-16A、QT-8D、EL-805>が、国内の情報機器分野で初めて「IEEE マイルストーン」に認定
2008年
電子式卓上計算機(電卓)<コンペット CS-10A>が、独立行政法人国立科学博物館の「重要科学技術史資料」に登録
2011年
電子式卓上計算機(電卓)<コンペット CS-10A>が『情報処理技術遺産』に認定
2014年
50周年記念モデル<EL-VN82>発売
2024年
スマートなフラットフェースデザイン。快適で確かなキーレスポンス。<EL-VM72>発売